最高裁判所第三小法廷 平成2年(行ツ)68号 判決 1992年4月07日
フランス共和国
ヌイイ・シュル・セーヌ、ブールバール・マヨ八・ビス
上告人
アンリ・ビダル
右訴訟代理人弁護士
山崎行造
名越秀夫
伊藤嘉奈子
窪木登志子
松波明博
日野修男
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被上告人
特許庁長官 深沢亘
右当事者間の東京高等裁判所昭和六一年(行ケ)第七号補正却下決定取消請求事件について、同裁判所が平成元年一一月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人山崎行造、同名越秀夫、同伊藤嘉奈子、同窪木登志子、同松波明博、同日野修男の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 坂上壽夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)
(平成二年(行ツ)第六八号 上告人 アンリ・ビダル)
上告代理人山崎行造、同名越秀夫、同伊藤嘉奈子、同窪木登志子、同松波明博、同日野修男の上告理由
第一 原判決には、理由不備又は理由齟齬の違法があり、民事訴訟法第三九五条一項六号に該当する。
一 原判決は、「原告(上告人注 上告人)が請求の原因五3(一)、(二)で指摘する当初明細書の記載が、同五3(一)<5>の点を除き、いずれも本願優先権主張日当時の鉄筋コンクリートの分野における典型的な技術常識とは矛盾する記載であることは被告(上告人注 被上告人)の認めるところである。」として(原判決五二丁表一三行ないし同丁裏四行)、従って、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることを推認した。
そうであるにもかかわらず、原判決は、右推認を覆す理由を全く又は充分に付することなく、「当初明細書の記載から、本願発明は(中略)『鉄筋コンクリート補強材』に関する発明と一義的に理解されるよりほかない」としており(原判決六二丁表一行ないし七行)、理由不備又は理由齟齬の違法がある。
二 以下、原判決の理由を、原判決に指示された順に、詳細に検討する。なお、上告人が原審で主張した事実は、原判決中請求の原因の項に指示されているとおりであり、当然のことであるが、原判決を検討するにあたっては、右主張事実もまた十分考慮されるべきである。
1 「摩擦」について
(一) 原判決は、「建築大辞典」(乙第八号証)、「土木工学ハンドブック・中巻」(乙第九号証)及び「建築学便覧・Ⅲ・構造」(乙第一〇号証)「によれば、鉄筋コンクリートにおける鉄筋とコンクリートとの間には摩擦力が作用しているということができるから、当初明細書においてその記載の一部に『摩擦』という語があっても、鉄筋コンクリートの原理に全く矛盾するとはいえない」とした(原判決五二丁裏九行ないし五三丁裏六行)。
しかし、乙第八ないし第一〇号証は、建築、土木関係で用いられる語について理論的に厳正に説明した辞典であり、この辞典の厳正な説明が、産業上通常使用される一般的な用語をそのまま用いる特許明細書において常に使われるわけではない。確かに、鉄筋コンクリートの鉄筋とコンクリートの間には理論的厳正に説明すれば摩擦が生じているが、このことは極めて一般的な技術常識であること及び鉄筋とコンクリートの二つの塊の間の摩擦ということもできることから、産業上は、通常はかまえて「摩擦」という語を使うことなく、単に「付着」とか「粘着」の語を使う。だからこそ、乙第八ないし第一〇号証は、通常の用語である「付着」について厳正な説明をしているのである。従って、当初明細書において「摩擦」の語に言及していることは、鉄筋コンクリートの原理についての特許明細書の用語例として不自然であることは間違いない。
これに対して、補強土においては、バラバラの粒子間の摩擦力に言及せざるをえないので、特許明細書においても「摩擦」の語を用いることが自然である。
(二) また、原判決は、「甲第二号証によれば、当初明細書には、第3図の線6に関して、『線6はリブ2の頂点を通り、リブとともにリブの間に保有されるコンクリート7の量を画定している。』(甲第二号証明細書の一一頁八行ないし一〇行)と記載されていることが認められるのみであって、原告が指摘する『リブの頂点を通るせん断面が発生』するとか、『ストリップに働く引張力に抵抗するのは、このせん断面に働く土相互(土粒子間の)せん断面抵抗(摩擦抵抗)』である等の説明は記載されていないことが認められるから、右第3図の線6及び当初明細書の前記記載が鉄筋コンクリート原理に矛盾していると直ちには認め難い」とした(原判決五四丁表四行ないし同丁裏四行)。
しかし、原判決の考えでは、なぜ第3図に線6が引かれたのか又当初明細書に「線6はリブ2の頂点を通り、リブとともにリブの間に保有されるコンクリート7の量を画定している。」と説明されているかの理由がなく、これらの図及び説明を鉄筋コンクリートの説明のためと考えると、控えめに言っても全く無意味な記載となってしまう。
建築関係の当業者が、右の線6及び説明を読めば、土粒子のせん断面を表現するものとして補強土の説明がなされていると気付くはずであり、現に甲第六号証、甲第七号証等において専門家はいずれもコンクリートと鉄筋との結合力を摩擦によるものとして説明してはおらず、「摩擦」に対応するものとして「付着」「接着」「接合」等の表現を用いている。すなわち、久野教授は、甲第六号証の一一頁一九行ないし同一三頁八行にわたって、コンクリートと鉄筋との間には付着ないし接着の原理が働くが、補強土にあっては摩擦の原理が働き、両者は明らかに異なっていることを詳述している。とくに、同一三頁一ないし三行には総括的にこの点に触れている。また、シュロッサ教授は、甲第七号証九頁一〇行ないし同頁末行(訳文七頁一五行ないし同頁末行)及び一〇頁一六行ないし二〇行(訳文八頁一四行ないし一七行)において、補強土構造物においては土壌と補強材との間の相互作用のメカニズムは摩擦力であり、一方、鉄筋コンクリートにおいては接合又は結合を問題とするが、摩擦を問題とすることはないと述べている。これらの証拠から明らかなことは、本願発明の技術分野の属する土木工学の技術にあっては、当業者及び専門家は鉄筋とコンクリートとの結合が「摩擦」によるとは言わないのである。
確かに、「付着」ないし「接着」の概念を学問的に説明するに当たっては、「付着」や「接着」よりも根源的な意味を有し従っていっそう広範囲な使われ方をする上位概念としての「摩擦」の語を用いて説明するのが便宜であろうが、だからといって、付着や接着と摩擦とを同列の語として取り扱うのは誤っている。二物体間に強い摩擦が働いて、これらの物体が分離できなくなったときに、この現象を付着という語で表現することができるときに、当業界の技術者は、より広義の曖昧な表現である「摩擦」なる語を用いることなく、特別の理由がない限り、意味の明瞭な「付着」なる語を用いるのである。一方、補強土工法のように、補強材に接する土粒子が単に加圧によって結合しているに過ぎず、加圧を除去すれ土粒子が容易に結合関係を解かれるような場合には、補強材が「摩擦」によって土粒子と結合しているとするほうが、土粒子による補強材の保持の力学的構造が明確となる。従って、前記甲号各証において各専門家はこれらの語を使い分けているのである。
(三) 以上のとおり、当初明細書の「摩擦」という用語例並びに第3図の線6及び同線に関する説明文から、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白である。従って、このことを否定した原判決には、理由不備又は理由齟齬の違法がある。
2 表皮部分・補強材の結合
(一) 原判決は、「乙第七号証(昭和三七年第一二一八一号特許出願公告公報)によれば、鉄筋コンクリート技術において、型枠をコンクリート打設後も取り外すことなく、そのまま表皮部分として使用することが知られていることが認められる。したがって、当初明細書に表皮部分なる用語が使用され、表皮部分が図示されていても、鉄筋コンクリートの原理に矛盾しているとは言えない。」として(原判決五四丁裏一〇行ないし五五丁表五行)、当初明細書において記載された「表皮部分」とは、コンクリート打設のための「型枠」であると理解できるとした。
しかし、当初明細書において記載された「表皮部分」とは、「自由面を被覆するのに使われているプレート状をした表皮部分」を意味するところ(甲第二号証の明細書八頁一六及び一七行、上告人の原審における主張として原判決二九丁裏一一行ないし三〇丁表三行。なお、原判決では「プレート状態」なる表現を用いているが、当初明細書には「プレート状」とあり、引用が不正確であるのみならず、「プレート状態」ではその趣旨が曖昧となっている。)、「当初明細書の『自由面』に関する記載が鉄筋コンクリートの技術分野における科学原理に矛盾する記載であること」は、原判決が認めるところである(原判決六一丁表七行ないし九行参照)。
そうであれば、原判決は、当初明細書の「表皮部分」に関する記載もまた「自由面」に関する記載として鉄筋コンクリートの科学原理に矛盾するというべきであったにもかかわらず、単にコンクリート打設のための型枠と理解したことは、明らかに誤っており、また判決理由に矛盾を生じ、上告人の原審における主張に答えていないものである。
また、前述のように表皮部分は自由面を被覆するのに使われているプレート状の表皮部分であり、しかもこれは通常コンクリート製である(甲第二号証の明細書の一一頁一三行、添付図面第四図及び第一七図参照)。しかるに、原判決が表皮部分を型枠であると理解できるとする根拠となった乙第七号証の記載証のには「表皮部分」なる表現は用いられておらず、しかも、同号記載によれば、そこに開示された技術はコンクリート構築物の表面に、コンクリートとは異なった材質からなる耐水層を設けることに関し、この耐水層は、アスファルトピッチ等からなる完全耐水層15、アスファルトピッチ又は合成樹脂皮層等からなる耐水皮層6、及び合板材10から構成されたものである。従って、本願明細書を読めば、その表皮部分なるものは乙第七号証の開示する技術とは全く関係がないことが明白である。また、乙第七号証には、この耐水層がコンクリート打設後も取外すことなく使用する型枠であると認定しているが、以上の説明から明らかなように、その認定は誤っている。これは型枠ではなく、特定の構造を有する耐水層からなる壁材である。この認定は、原審における被告(被上告人)の第二回準備書面二丁表一四行ないし同丁裏五行における誤った主張を無批判に採用した結果である。原判決は、表皮部分が型枠であり得ると認定するに当たって、実質的審理を怠り、または予断を抱いて審理を行い、あるいは上告人の主張を理解できなかったものである。
(二) さらに、原判決は、「甲第二号証によれば、自由面あるいは表皮部分に関する先行特許として、『ヴイダールのフランス特許第二五五九八三号(米国特許第三六八六八七三号)』及び『フランス特許第一三九三九八八号(米国特許第三四二一三二六号)』が当初明細書に挙げられていることが認められるが、先行技術文献によって、その出願の発明の対象が決定され若しくは認識される訳ではないから、当初明細書に自由面あるいは表皮部分に係る技術文献が引用されているからといって、鉄筋コンクリートの原理に矛盾しているということはできない。」(原判決五五丁表六行ないし同丁裏四行)という。
しかし、右論旨は単なる形式論理であり、しかも原判決自身が鉄筋コンクリートの科学原理とは矛盾する記載であると認めている「自由面」あるいはそれを被覆する「表皮部分」に係る技術文献を右論旨のように軽視することは拙劣のそしりを免れないのではないだろうか。
確かに、明細書に記載されている先行技術文献によって、その出願の発明の対象が決定され若しくは認識されるわけではないであろう。しかしながら、本願明細書においては、自由面と表皮部分とに関する本願発明の実施態様を説明する箇所に、それに関係する先行技術文献を引用しているのである。これらの先行技術文献は本願の出願人(上告人)と同一人を出願人とするものであり、原審において、その対応日本出願が甲第一〇及び第一一号証として提出されている。甲第二号証の明細書の該当箇所(八頁一二行ないし同頁末行)及び甲第一〇及び第一一号証を併せ読めば、この先行技術文献はこの出願の発明の対象と無関係に記載されているわけではないことが明らかになる。かえって、この先行技術文献はこの出願の発明の対象を説明しているのである。かかる理由により、かかる技術文献が引用されていることにより、本願発明が鉄筋コンクリートに関するものではないことが分かり、これが鉄筋コンクリートに関するものであるとすれば、鉄筋コンクリートの原理に矛盾していることが容易に分かるのである。これらの技術文献は補強土に関するものであり、補強土の補強材端部が表皮部分と一体となっていてもいいことを教示している。これを受けて、本願明細書においては、補強材の二つの相隣合うリブの間に平滑な面のあることを利用して補強材の端部をリブのないバンドの部分と一致させることにより表皮部分と補強材とを結合させることを達成することができると、明細書は述べている(甲第二号証の明細書の八頁一二行ないし同頁末行)。原審の裁判所がこの部分を、予断を容れずに読めば、原判決のような判断はしなかったはずである。
(三) さらに、原判決は、「鉄筋コンクリート技術において型枠をそのまま表皮部分として使用することがあることは前叙のとおりであるから、右型枠と補強材との固着手段として従来周知のボルト止めを採用することは当業技術者に適宜選択できる技術的事項と認められる。そうすると、本願明細書に『ボルト止めによるのが好ましい』との記載があることが技術常識に反するとまでは認められない」(原判決六〇丁裏一〇行ないし六一丁表六行)としたが、これも、当初明細書の「表皮部分」の記載を「型枠」と誤解した結果の立論であり、合理的理由となっていない。
鉄筋コンクリート構築物において鉄筋を表面部分にボルトとめする等という技術は、極めて特殊なものであり、そのような技術に言及するときにはそれなりの説明があるべきであるのに、本願明細書にはそのような説明は一言も記載されていない。むしろ、本願明細書においては、特別な説明を要せずに理解できる通常の技術を説明する態様で説明がなされている。従って、当業者であれば、本願明細書の説明は、乙第七号証の技術のような特殊な技術についての説明ではないことは、容易に判断できるのである。原判決はかかる単純で平易な論理的分析を怠っており、その夫当であることは明らかである。
(四) 鉄筋コンクリートの技術分野(建築関係)の当業者にとっては、当初明細書の「表皮部分」及び「自由面」に関する記載は、鉄筋コンクリートに関する記載でないことが明らかであり、むしろバラバラな土粒子から構成される補強土構造物を容易に想起できるものである。
(五) 以上より、当初明細書の「表皮部分」及び「自由面」に関する記載から、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白である。従って、このことを否定した原判決には、理由不備又は理由齟齬の違法がある。
3 粒子
(一) 原判決は、「当初明細書に『粒子』という用語が使用されていることは被告の認めるところであるが、鉄筋コンクリートにも砂利、砂等の粒子が含まれていることは技術常識上見易い道理であり、また、前掲甲第二号証によれば、当初明細書中において『粒子』という用語は一一頁七行の一個所に記載されているにすぎないことが認められ、『粒子』という用語が補強土の技術を示す用語であることが自明であることを認めるに足る証拠はない。」という(原判決五六丁表四行ないし一一行)。
しかし、鉄筋コンクリート打設後は、コンクリートを組成する粒子は固着するので、当該粒子の状態を「多量の粒子(4の中に)」(甲第二号証一一頁七行)と表現することはない。これに対して、補強土構造物では、土粒子はバラバラなので、「多量の粒子4の中に」という表現がふさわしい。
従って、当初明細書の「粒子」という表現から、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白である。従って、このことを否定した原判決には、理由不備又は理由齟齬の違法がある。
(二) なお、上告人は、甲第一四号証の次のような記載から、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白であることを主張した(原判決二三丁裏三行ないし一一行)。つまり「(<1>)補強材を構成要素とする構造物において、更に<2>粒子及び<3>表皮部分を構成要件とするものは補強土工法による構造物のみである」(甲第一四号証四頁九行ないし一一行参照)ところ、当初明細書には、「<1>補強材<2>粒子<3>表皮部分が記載されている。従って、この点からも本件特許願にかかる発明の構造物が補強土工法による構造物であるということが明白である」(同証五頁一三行ないし一六行参照)。
ところが、原判決は、右<1>ないし<3>の三要素からする評価については何も答えておらず、理由不備である。
4 補強材の材質
原判決は、乙第四及び第五号証によれば「引張強度を有する材料であれば、それらの材料も鉄筋コンクリート用補強材として使用し得ることが認められる」ので、当初明細書の「アルミニウムを基本成分とし」との記載、「使用材料が鋼のときは」との記載及び「いかなる金属あるいはプラスチック材、木材などのようなその他いかなる材料でできていてもよい」との記載も、「必ずしも鉄筋コンクリートの本質と矛盾するとはいいきれない。」とした(原判決五六丁裏五行ないし五七丁表九行)。
しかし、原判決は、すでに当初明細書の前記各記載が本願優先権主張日における鉄筋コンクリートの技術常識に反することは被告の認めるところであるとして、これを認めており(原判決五二丁表一一行ないし同丁裏四行)、これに対して前記記載を合理的だとする特段の事由を認定していないのであるから、当初明細書の前記各記載は鉄筋コンクリートの技術として成り立たないと認定すべきであった(上告人の原審における主張、原判決二四丁裏五行ないし二七丁表一一行)。プラスチック材や木材が鉄筋コンクリートの鉄筋の役割を果し得ないことは本願優先権主張日頃は土木工学に無知な素人でも知っていたことである。原判決は、いわば非常識というべきことを、形式論理によって肯定しているのであり、その非は明白である。あえて言えば、判決理由の右拙劣さは、残念なことに、上告人の国籍であるフランス国において、日本の判決に対する強い不信感を抱かせている。
従って、当初明細書の補強材の材質に関する前記各記載から、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白である。従って、このことを否定した原判決には、理由不備又は理由齟齬の違法がある。
5 証拠全体の評価
原判決は、「原告が科学原理上の矛盾点として指摘する点は、当初明細書の『自由面』に関する記載を除きいずれも理由がないものである。そして、当初明細書の右『自由面』に関する記載が仮に鉄筋コンクリート用補強材の説明としては科学原理上の矛盾を生じさせるものであるとしても(右『自由面』に関する記載が本願優先権主張日当時の鉄筋コンクリートの技術分野における典型的な技術常識とは矛盾する記載であることは前記[上告人注 原判決のまま]二3冒頭なお書きのとおりである。)、およそ出願願書添附の明細書中に把握困難な記載がある場合があること及びその故をもって直ちに出願にかかる発明を否定し去ることができないことは当裁判所に顕著な事実であるから、本願において、当初明細書に『自由面』に関する記載があることから、もって直ちに、本願発明が「鉄筋コンクリート用補強材』に関する発明ではないということはできない。」(原判決六一丁表七行ないし同丁裏一一行)とした。
しかし、上告人が原審で詳細に主張したとおり、当初明細書中には、本願優先権主張日当時の鉄筋コンクリートの技術分野における科学的原理又は技術常識に対して矛盾する記載が多種多数存在する。それは、本書面でも言及した<1>「摩擦」に関する記載、<2>「表皮部分」・「自由面」に関する記載(本願で引用された先行特許及び補強材の結合をボルト止めとする旨の記載を含む)、<3>「粒子」に関する記載、<4>補強材の材質についての記載や、その他<5>補強材の防蝕についての記載、<6>補強材の実用性についての記載、<7>補強材の形状についての記載、<8>補強材が用いられる構造物が仮の構造物であることについての記載、<9>補強材の製造に関して「溝つけが周知である」旨の記載、など誠に多種多数に及ぶ。
そして、原判決も、当初明細書中の前記多種多数の記載が、本願優先権主張日当時の鉄筋コンクリートの技術分野における典型的な技術常識と矛盾することは認めており、さらに「自由面」に関する記載は同技術分野の科学原理に反することも認めている。そうすると、前記多種多数の典型的な技術常識と矛盾する点は、一般当業者が容易に気付くはずのものである。
原判決は、要するに、本願明細書の記載が誤訳に基づくものであるとの上告人の主張の根拠が、すべて例外を許すものであるから、すべてのケースについて、かかる例外を採用すれば、上告人の主張は採用できない、とするものである。しかしながら、かかる例外の採用が誤りであることはすでに詳述したので、原判決の理由が成立しないことは明らかである。しかしながら、仮りにそれらの例外事由が妥当なものとして認められるとしても、このように多数の例外事由が同時に成立する確率は、科学的に考えて、皆無に等しい。しかも、原判決は、コンクリート構築物には自由面等というものは考えられないことを認めているのであるから、かかる有り得ない事由を基礎にして、その上に例外事由を積み重ねても、原判決の望む結論には到達する訳がないのである。原判決が、これ程明白な誤謬を犯しつつもその結論を維持しようとした理由は、形式的論理のみにその根拠を置くことが許されるとの考えを有するからであろう。しかし、かかる論理が許容できないことは、一応の論理を理解する者にとっては自明なことであり、裁判においてのみ許容されるというものではないと考える。
そうであれば、つまりこれだけ多種多数の少くとも技術常識に矛盾する記載を認定したのであれば、弁論の全趣旨に鑑みて、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であり、補強土に係る発明が開示されていたことを認定すべきである。そうであるにもかかわらず、これを認定しなかったことは、理由に不備があり又は理由に齟齬があると言わざるをえない。
6 審査官の責任などについて
なお、原判決は、当初明細書の「記載上一言も言及されていない『補強土』に関する発明が開示されているとみることはできないのである。そうでなければ、審査官(審判官)は、本来出願人の自由に任されかつその責任において記載されるべき明細書を、その記載文言にもかかわらず、その明細書から直ちには看取することのできない他の発明に係わる技術常識をもってみれば、明細書の記載文言とは異なる他の何らかの発明が記載されているものとして取扱わなければならないとすることとなり、審査官(審判官)に過度の責任を負わせる反面、後願者の地位を不安定なものとするおそれがあり、妥当ではない」とする(原判決六二丁表七行ないし同丁裏六行)。
しかし、本件に関していえば、本願出願人たる上告人が、本件補正書を提出する前の段階ですでに審査官に面接して、本願に係る発明は当初明細書の文字にかかわらず「補強土」であることを説明していた事情があった。従って、本件には、原判決が心配する事由は該当しない。
また、そもそも特許出願の審査に当って、審査官(審判官)は、明細書の記載文言とは異なる何らかの発明が記載されているものとして出願にかかる発明を取扱うことは要求されておらず、審査官(審判官)としては単に自らの理解するところに従って審査を行なえば足りるのであり、その理解が誤っているときは出願人の意見書や第三者の異議申立を待って、再検討すれば足りる。従って、審査官(審判官)が過度の責任を追う羽目に陥ることは、元来あり得ないことである。原判決の論旨は理解に苦しむ。
7 甲第六、第七、第一四及び第一八号証について
(一) 原判決は、右甲各号証によれば、「補強土に関する通常の専門的知識を有する者が当初明細書を見た場合、本願発明が『鉄筋コンクリート用補強材』に関する発明でなく、『補強土』に関する発明であることは容易に理解できる旨意見を述べる者がいることが認められる。」と認定した(原判決六三丁表七行ないし一行。但し、「補強土に関する通常の専門的知識を有する者」とあるのは正確には「鉄筋コンクリート及び補強土などの建築に関する通常の専門的知識を有する者」というべきである。)。
しかし、右認定を覆すだけの前記専門的知識を有する者の反対意見もないまま、右認定を覆しており、理由不備又は理由齟齬の違法がある。
(二) 原判決は、右甲号各証の成立の経緯について明らかではないから、「右甲号各証を素直に読みくだすときは、右甲号各証に記載された意見は、原告が請求の原因五において主張している『科学原理上の矛盾』なる事項を事前に指摘され、これを前提として導き出されたことを窺い知りうるのである。」(原判決六三丁裏一一行ないし六四丁表四行)とした。
しかし、日本国内外における高名な学者である者たちを、上告人又は他の者が指導して、右甲号各証を成立させたとする認定は全く不自然である。確かに、右甲号各証の書式は似ているが、これは、上告人側でワード・プロセッサーを提供しただけのことであり、上告人側が内容についてまで指導できるものではないし、現にそのようなことはしていない。もしそのようなことがあれば、世界にわたる当業界の最高権威者の権威に対して大変失礼である。(なお、右甲号各証の鑑定意見の作成者等が日本国内外における高名な学者であることは原審においても明らかであったと考えるが、参考のため、そのことを示す資料として現段階で入手できた履歴書を別添資料1ないし3として添付する。)
そもそも前記各証拠の内容が似た原因は、原判決も認めるように、同各証拠で指摘された当初明細書中の多数の記載が、本願優先権主張日当時の鉄筋コンクリートの技術分野における典型的な技術常識と矛盾するからに他ならない。
従って、原判決の右判示は、独断に基づくものであり、理由がない。
8 以上より、結局、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白であるにもかかわらず、そうではないとした原判決には理由不備又は理由齟齬の違法がある。
第二 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則違反及び釈明権の違法な不行使・審理不尽があり、民事訴訟法第三九四条後段に該当する。
一 採証法則違反
原判決は、前記第一、二の1ないし5及び7の項で述べた点について、証拠の評価を誤ったものということができるから、採証法則違反である。
そして、右採証法則に違反した証拠評価の結果、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白であるにもかかわらず、これを否定したので、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
よって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則違反の違法がある。
二 釈明権の違法な不行使・審理不尽
さらに、原判決は、前記一項記載の証拠評価をする段階で、特に、前記第一、二、7の項で述べた甲第六、第七、第一四及び第一八号証の成立経緯の評価をするについて、原審原告たる上告人に釈明を求めることなく独断的で不意打的な評価をしており、審理不尽の違法がある。
そして、右釈明権の違法な不行使・審理不尽の結果、当初明細書の「鉄筋コンクリート」及び「コンクリート」の記載が(その文字にもかかわらず)誤記であることは明白であり、補強土に係る発明が開示されていたことは明白であるにもかかわらず、これを否定したので、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
よって、原判決には、釈明権の違法な不行使・審理不尽がある。
第三 以上より、原判決は、民事訴訟法第三九五条一項六号又は第三九四条後段の事由により、破棄されるべきである。
以上
(添付書類省略)